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今回の横濱中華街アフターツアーでは本牧と世田谷で狙っていた買い物も済ませられたので
東京を通るたびに寄っている四谷のお店はパスして 四谷三丁目の消防博物館に入ってみました。
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新宿通りと外苑東通りの交差点にある東京消防庁 四谷消防署に併設されたこの博物館は
江戸から平成の現代に至るまでの消防の歩みと最新装備の全てが見学できます。

扉が開くとエントランスで出迎えてくれたのはファイアー君。
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受付を済ませて中に進むと。。。地下1階との吹き抜けになっている場所には
フランスのシュド・アビエーション社のアルウエットⅢ型消防ヘリコプター。
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『ちどり』と命名されたこの機体は550馬力のエンジンを搭載し210km/hの最高速度で7名の人員が
搭乗できるスペックを持ち昭和57年まで現役で活躍。

地下フロアへ降りると昭和4年に実戦配備されたマキシム消防ポンプ自動車
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昭和16年に配備されたニッサン180型消防ポンプ自動車は国産消防ポンプ車第一号
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これ以外にも大正から平成にかけて活躍した名車が並び消防自動車の変遷が見れます。

ここから一気に5階に上がり屋外に展示されている消防ヘリをチェック。
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昭和47年に実戦配備され 『かもめ』の名で16年間に4957時間50分運行されてきた
フランス アエロスパシャル・アルウェットⅢ型は機内を開放していてコックピットに座ることも可能。
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子ども達に大人気で皆なかなかコックピットから離れようとせず炎天下の中の順番待ちが
かなり辛く感じました。

ヘリの内部が確認撮影できたら速攻で博物館に逃げ込みます。
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舞い戻った先には火事と喧嘩は江戸の華と詠われた消防のルーツ 江戸の火消しを展示。

粋でいなせと言われた町火消したちですが 延焼を防ぐため掲げた纏を目印に
我が身を省みない懸命の防火作業であったことは間違いないでしょう。

このフロアから更に下った4階には明治から昭和にかけて近代化していく消防の姿が辿れます。
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設備も機械化し消防士も科学的な装備を身に付け組織も近代化している消防ですが
できることならばお世話にならないように気をつけたいもので。。。

今回 見て回って改めて感じたのはやはり個人個人の普段の心掛けの大切さでした。
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それではっ!

July 13,2012 Fri   その他  | COMMENT(2)




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軽く飲茶で昼食を採った後は腹ごなしを兼ねて街中をブラブラと散歩します。

先ずは幕末の頃に建てられた関帝廟(かんていびょう)。
関東大震災 横濱大空襲等幾多の苦難を乗り越えその都度修復再建されてきた歴史ある建物で
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内部には三国志にその名を馳せる武将 関羽を神格化した関聖帝君を主神に
玉皇上帝 地母娘娘 観音菩薩 福徳正神の五体の神様を祀っています。
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神殿やその周囲には中国の工匠が伝統工芸の粋を駆使した数々の彫り物が施され
明・清時代の南方廟堂様式を今に伝え横濱中華街の中国文化を継承しています。
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この長い線香を五体の神々毎に用意された香炉に一本づつ供えて身を清めたら
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本堂に入って順番に五体の神々の前にひざまづいて合掌して願い事をします。
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ちなみに説明をしてくれた方の話では主神 関聖帝君は商売繁盛にご利益のある神様だそう。

次に辿り着いたのは横濱媽祖廟(まそびょう)。
2006年に海の女神 媽祖を祀るためにできたこの媽祖廟も装飾や彫刻が見事です。
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神通力で災いを退けた媽祖は実在した人物で多くの華僑・華人の信仰対象とされています。

狭いようで結構広い中華街を歩き疲れてチョッと休憩。。。そんなところにも様式美に溢れていて
山下公園の曾芳亭では多くの人が強い日差しを避け憩いのひとときを過ごしてます。
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普段中々目にすることが無い極彩色に彩られた建築物があって本当に中国にいるみたい。

でも本場と違うところも。。。
この曾芳亭で休憩していた時に近寄ってきたのは人懐っこい鳩。
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泳ぐものは船以外 飛ぶものは飛行機以外 四本足は机以外 二本足は両親以外ならば
何でも食べると言われている中国人ですが 
確かに食在広州の街中では一匹の鳥すら見かけませんでした。(飛行機は飛んでましたけど。。。)
もしかして本当に。。。

それではっ!
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July 10,2012 Feb   その他  | COMMENT(0)




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源平の合戦で海に浮かぶ平家の小船に掲げた扇の的を打ち落とした弓の名手 那須与一は
現在の那須から少し離れた大田原市近郊に生まれ育ったと言い伝えられていて
周辺には那須一族とのゆかり深さを感じさせる社寺仏閣が多く残されています。
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まずは道の駅 那須与一の郷に併設される与一伝承館で伝説の一端を覘いてみます。
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伝承館内の扇の的劇場では 屋島合戦での那須与一の活躍ぶりを観劇。
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琵琶法師による琵琶の音と語りから始まるこの劇は
平家物語で伝えられている通り源義経が四国屋島に陣を構える平家を背後から攻めたて
慌てた平家が海に逃れて源氏と対峙することになった場面からスタート。
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沖から扇を竿につけ源氏に向けて射落としてみよと挑発する平家の姫。。。
与一が義経に弓で扇を射つことを命じられ葛藤に打ち勝って見事扇を射切るまでの一部始終を
からくり人形風のロボットとワイドスクリーンの映像が伝えます。
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そんな伝承館の裏手に建っているのは那須家代々の氏神である那須神社。
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社に祭られ崇拝信仰されてきた金丸八幡宮が現世までこの地の安息を見守っています。

ほんの僅かな時間でしたが知っていそうで知らなかった与一の生きた時代を感じられました。
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それではっ!
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July 7,2012 Sat   その他  | COMMENT(2)




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熱塩加納町にある日中線記念館から国鉄日中線の足跡を辿ってみます。
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日中線は栃木県今市から山形県米沢を結ぶ東北縦断鉄道野岩羽線として計画され
昭和11年に着工し昭和13年に喜多方~熱塩間を結ぶ11.6kmで開業するも
日本が戦火にまみれると下野(栃木)岩代(福島)羽前(山形)を結ぶ夢は掻き消され
戦後も必要の是非を問われながらついには昭和59年に廃止の憂目に遭うことに。。。

記念館は北の終着駅 熱塩駅を改装利用したもので往時を知る貴重な資料を展示。
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屋外には豪雪地帯ならではの車両展示も。。。
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ビックリ顔で目を白黒させながら出迎えてくれたのは除雪車キ100 287
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除雪用の鋼鉄の除雪翼を纏った姿は強固な甲冑を身に着けた武士のよう。

外装は勿論のこと車両内部にも過酷な環境に耐えるための装備が目に付きます。
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とぼけた顔つきの除雪車が機関車に押されて深雪を掻き分けて力強く前進する姿を見たかった。

その後ろに連結されているのは。。。
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客車 オハフ61 2752
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木製の背もたれシートを持つこの車両も豪雪地帯に適合する装備が奢られています。

記念館を後に向かったのは南の始発駅 喜多方市内の廃線跡。
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現役時代はここに敷設されたレールの上を幾度と無く通り過ぎただろうC11 63と
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その後ろに寄り添うようにDLがひっそりと住宅地の片隅で余生を送っています。
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折りしも太平洋戦争の時運にまみれ数奇な運命を辿った国鉄日中線の歴史は
終着駅と始発駅にくろがねの伝道師を置いて後世に語り継がれるのでしようか。。。
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それではっ!

June 27,2012 Wed   その他  | COMMENT(4)




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確かに旧・粟野町(現・鹿沼市)の出身だって事は知っていたし
思川筋を走っているとこの方の名前を使った卵の看板があるのも見た事があります。
でもまさかこんなものを建てていたなんて。。。
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たまたま眺めていたTV番組で本人が話しているのを聞いて初めてその存在を知りビックリ!

このお墓が立てられているのは鮎釣りでよく訪れていたポイントのすぐ近くなのに
今まで全く気づきませんでした。
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霊園の敷地内には親切丁寧な看板まで建てられていてまるで観光スポット。
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遠目に見回したときには解りませんでしたが
良~く見てみると他のお墓とはかなり異なった装飾(?)が施されていて。。。
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よくもまあここまで思い切ったお墓を建てたものだと感心します。

この生前墓 TV番組で本人が言っていた話では1000万の費用が掛かっているとかで
実物を見るとあながち嘘でもなさそう。

でもさすがにここまでやるなんて。。。思いっきりガッツワールド全開!
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数多くの伝説を打ち立てたガッツさんならではのセンスがところどころに光っています。
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いゃ~しかし 自分の行動範囲にまさかこんなものがあったなんて。。。
灯台下暗しとはまさにこのことでした。

それではっ!
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June 21,2012 Thu   その他  | COMMENT(0)




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